風の狩人


第2楽章 風の軌跡

第3章 守りたいもの


電車はトンネルに差し掛かっていた。雨上がりの空に赤い車体が映えている。結城は向かいの山の高地から、それを見ていた。その電車には知り合いが乗っていた。クラウス・バウアー。ナザリーの兄だ。彼は遺跡の調査に向かうと言って数日前から家を空けていた。

――わたし、不安なの

雨の夜、ナザリーは兄の身を案じて呟いた。
「あのトンネルは、恐ろしい因縁の場所なのよ。15年前にも崩落事故があって、電車が巻き込まれたの。たくさんの人が死んで、その中に、わたし達の家族もいた。その時から、わたしはクラウスと二人きりになったの。もし、また事故が起こったら、クラウス兄さんに何かあったら、わたしは今度こそ本当に独りぼっちになってしまう」
彼女は胸の前で手を握ると睫を震わせた。
「大丈夫。僕が見張っているよ。そして、もし闇の風が現れたら、僕の力で浄化してやる。言っただろう? この力は、みんなが幸せになるためだけに使うって……」
結城は、そう言うと彼女の額にやさしくキスをした。
「ありがとう、直人。信じてるわ。そうね。あなたがいれば、きっと大丈夫よね」

――きっと大丈夫

結城はふと恋人の姿を思い浮かべた。
「そう。大丈夫だ」
そう声に出して言ってみた。空には一点の曇りさえなかった。遠くから電車が遠雷のような音を響かせて接近して来た。
その時、ピキッと小さな音が耳の奥に響いた。それは、空気が裂けるような、壁に亀裂が入ったような嫌な音だった。
「あれは……!」
見上げた空に闇があった。それはみるみる成長し、やがて空一面に膨らんで、山の頂に達した。
「闇の風だ」
結城は右手を高く上げた。そして、闇を浄化するためのタクトを握り、大きく振った。が、風は吹いて来なかった。
「風が……呼べない……!」
結城は驚愕した。タクトは光を失ったまま、彼の手の中にあった。
「まずい……! このままでは電車が闇に呑み込まれてしまう!」

彼は焦った。闇は頭上で渦巻き、恐ろしい口を開け、トンネルに近づきつつある電車を呑み込もうとしていた。
(落ち着け! 集中するんだ)
結城は自分の心に強く言い聞かせた。そして、再び風の力の解放を試みた。が、光も闇も、何も反応しなかった。そして、ついに闇の風が過去を呼んだ。パラパラと小石が舞い、砂が飛び、斜面に亀裂が広がって行く。
「止まれ!」
結城は叫んだ。が、既に、電車はその頭を怪物の口に突っ込んでいた。その時……。ゴーッ! という凄まじい轟音と共に一気に斜面が崩壊し、電車はひしゃげ、脱線した。車両は折れ曲がり、無残にも大量の土砂に押し潰された。
「クラウスッ!!」
呆然と立ち尽くす結城。闇はその巨大なエネルギーを放出したにも関わらず、まだ成長を続けていた。それは連なり、凝集し、竜巻となって空を駆け巡った。その本流が結城をめがけて襲いかかる。

「やめろ!」
結城は必死にタクトを振った。が、風は彼と同調してはくれなかった。
「どうして……!」
迫り来る脅威、そのおぞましい力に、彼は初めて恐怖を感じた。風が笑っている。

――クラウスに何かあったら、わたしは今度こそ本当に独りぼっちになってしまう

「ナザリー……!」

――俺は、欲しいものは必ず手に入れる主義なんだ。いつかはおまえも手に入れる

浅倉の引き攣った笑いがこだまする……。
「やめろ――っ!」
足下が崩れた。上方から岩が落ち、倒壊した樹木が何もかもを押し流した。浅倉のいやらしい笑いが空一面に広がった。
「くっ……!」
結城は崩れた斜面を滑り落ちたが、辛うじて突き出た枝に掴まった。そして、彼はもう一度風を呼ぼうと手を伸ばした。その時、闇の巨大なうねりが彼を呑み込んだ。悲鳴が長く尾を引き、彼の意識は奈落の底へと落ちて行った。


最悪の目覚めだった。ここは、もうドイツではなく、日本の自分の家の布団の中なのだと認識するまでに時間がかかった。昨夜、ナザリーと会ったからか? あんな形で奴が生きていると聞かされたからか? 風使いの能力を取り戻した今でも、浅倉が、過去が幾重にも結城の心を苦しめた。

――兄さん! クラウス兄さん……!
兄の遺体を前にして、泣き崩れる彼女を慰める事が、結城には出来なかった
――どうして……
何故、直人が付いていながら、兄を助けてくれなかったのかと、その背が訴えているように思えて、彼女の顔をまともに見る事が出来なかったのだ。
――あなたがいれば、きっと大丈夫よね
約束したのに……。
傷心した彼女に手を差し伸べていたのは浅倉だった。

(だが、彼女は僕を裏切ってはいない)

――彼女はもう俺のものになったのさ

(違う。ナザリーは……浅倉と関係を持ったりしていない。彼女が愛しているのは僕だ)
今すぐ彼女を取り戻しに行きたい衝動に駆られた。しかし、彼女は“Nein(ナイン)”と言った。浅倉の思惑が何なのか突き止めなければならない。その闇を封じなければ……。だが、彼女が言うように逃げるのは真っ平だと彼は思った。ここを引き払うのは、あくまでも周りの愛する者達を守るためなのだ。戦うには狭過ぎるから……。
「今朝は、やけに風が騒がしい……」
ふと時計を見れば6時5分を過ぎている。結城は慌てて飛び起きると、大急ぎで着替え、階段を駆け降りた。
階下では、キッチンに明かりが灯り、何かを刻む音が響いていた。
「母さん……」
ふっと脳裏に母の面影が過った。しかし、今、ここに母がいる筈がない。
(誰だろう?)
一瞬、彼は身構えた。
「あ、先生。お早うございます」
キッチンのガラス戸を開けると龍一が振り向いて微笑んだ。
「風見……」
「先生。早いんですね。もうすぐ朝食の支度が出来ますから。えーと、今、スープ温めてるので、先にコーヒー淹れますね」
龍一は手際よくカップにそれを注いだ。テーブルの上には、既に出来上がったサンドイッチとサラダが並べられている。

「あ、せっかくだけど、もう行かないと。朝練があるんだ。それに、今日は隣町に寄って車取ってかないといけないし」
「でも、朝はきちんと食べないといけませんよ。ほら、サンドイッチだけでも」
と、皿を結城の前に置いた。
「あ、そうだね。それじゃ、一つもらうよ」
結城はコーヒーを一口飲み、サンドイッチを頬張った。
「すごくおいしいよ。ありがとう」
少年は白い室内着を着ていた。制服を着ている時とは随分、印象が違って見えた。

「すごいな。君は料理が得意なのかい? その辺で売ってるのよりずっとおいしいよ」
「そんな事ありません。少し慣れてるだけですよ。母さんがいつも忙しかったから……」
「ああ。そうだったね」
二人の間に一瞬だけ風が交錯した。結城は少年の心中を思って視線を逸らした。
「ところで、僕は先に行くけど、君は?」
「ぼくは健悟といっしょに行く約束なんです」
そう言うと、龍一はテーブルの上の物を片付け始めた。
「そうか。じゃあ、慣れない道だから気をつけて。スペアの鍵を預けておくから、出る時閉めといてくれ。それじゃ、学校で」
そう言うと、結城は慌しく家を出た。


学校での朝はいつもと同じように過ぎていた。朝の連絡会議も普段と変わりなく、欠席者の中に龍一の名前はなかったので結城は少しほっとした。龍一が出した忌引きの届出は一週間なので昨日で切れている。それで長野から戻って来たにちがいない。何しろ、彼は入学してから欠席や遅刻は一切ない生徒だった。しかし、どんなに冷静沈着な彼でも、あんなことがあったばかりなのだ。不安でない筈がない。
(昨夜は、かなり感情的になっていたようだし……)
結城はそれが気がかりだった。が、今朝は元気そうにしていたので、少しは安心していた。しかし……。
3時間目が始まる寸前の事だった。
「結城先生!」
と、廊下を駆けて来る生徒がいた。振り向くと、それは健悟だった。

「藤沢。どうしたんだ?」
「昨日、龍一が先生の家に行ったと思うんですけど」
「ああ。そうなんだ。もう遅い時間だったから、家に泊まってもらったけど」
「それならいいんですけど、その……」
健悟は何となく腑に落ちないと言った顔で訊いた。
「あいつ、学校に来てますか? 必ず連絡くれって言ったのに、電話もないし、1、2時間目はずっと移動教室だったので、龍一と会ってないんですけど」
「え? 風見は、君といっしょに学校へ行くと言ってたんだけど……欠席者の中にも名前なかったし」
結城も困惑したように言った。
「あ、でも、次、風見のクラスの授業なんだ。会ったら、君が心配していたと伝えておくよ」
「あ、ありがとうございます」
その時、始業のチャイムが鳴った。健悟は慌てて回れ右をすると自分の教室へ向けて駆けて行き、結城も音楽室へと急いだ。


そして、3時間目が終わると、結城は急いで職員室へ向かった。彼は、やはり来ていなかったのだ。そして、職員室に戻ると、すぐに龍一の担任に話し掛けた。
「あの、風見の事なんですけど、今日、授業に出ていないようですが、何か聞いていますか?」
「ええ。そうなんですよ。無断欠席してるんです。それで、さっき、あの子の大叔母の家に電話してみたんですが、誰も出なくて。あんな事があった後ですからね。私も気にはしているんです。転校するなら書類を作らなきゃだし」
と困惑したように言う。
「そうですか」
結城は不安になって、すぐに自宅へ電話を入れてみた。が、空しく呼び出し音が鳴り続けるだけだった。
(家は出たのか? なら、一体何処へ……? まさか、途中で何かあったんじゃ……? それとも、浅倉が……?)
受話器を置くと、彼は予定表を見た。4時間目は空き時間だった。
(今、11時35分か。車で往復すれば、5時間目が始まる前には戻れる)
結城は、急いで外出許可をもらうと車を飛ばした。取り合えず自宅に戻り、龍一の痕跡を追うことにした。


およそ20分で家に着いた。カーテンが開いている。が、中の様子はわからない。玄関の鍵は閉まっていた。結城は自分のそれで鍵を開けると中に入った。が、台所にもピアノの部屋にも姿はなく、結城が2階へ上がろうとした時だった。
「あれ? 先生、随分早かったんですね」
いきなり背後から声がした。振り向くと、龍一がモップを持って立っている。結城は、しばし呆然と少年を見つめ、それから静かに言った。
「君は、ここで何をしているの?」
「あの、今、丁度お掃除が終わったところなので、夕飯の下ごしらえをして、それから、ちょっと買い物に行こうかと……」
「夕飯の……ね」
結城は少し呆れたように言った。

「今はまだ、お昼なんだけどね」
「あ、すぐに支度しますね。先生、何が好きですか?」
「そういうことじゃなくて」
彼は少しきつい口調で続けた。
「学校には何も連絡ないし、担任の坂口先生も藤沢も、とても心配してたんだぞ。僕だって、途中で何かあったんじゃないかと思って」
「ごめんなさい」
龍一は肩を落とし、首を竦めた。
「もう、いいから。すぐに制服に着替えなさい。僕もこれから学校に戻るから。君もいっしょに行って、今後の事とか、坂口先生に相談しよう」
「でも……」
龍一は結城の顔色をうかがったが、彼が硬い表情のままだったので、視線を逸らして言った。
「じゃあ、お昼、食べてからでもいいですか? その、出来たら、先生もいっしょに……。朝も忙しく行っちゃったし」
龍一が恐る恐る訊くと結城は時計を見、少年に言った。
「ああ。昼くらい食べる時間はあるだろう」

それから龍一は、ごく短い時間に中華風スープとピラフ、それにサラダにデザートまで揃えて出して来た。二人は合い向かいの席に座って食事をした。
「君はほんとにいい腕をしてるな。これなら、ちょっとしたレストラン並みだ」
結城が褒めると、彼はうれしそうに食後のコーヒーを注いだ。
「それじゃあ、食事も済んだし、出掛けようか?」
結城が声を掛けると少年は沈んだ顔をした。

「どうした? 約束したろう?」
「……」
龍一が返事をしないので、彼はそっとその肩に手を置いた。
「何を心配してる? マスコミなら、もういないよ。それに、みんな、君の事を心配してるから……」
それでも、龍一は視線を落としたまま黙っていた。
「ねえ、人間、生きてるとさ、いろんな事があるよ。辛い事や悲しい事なんかもいっぱいね。でも、その後には、必ず幸せが待ってるんだ。本当だよ。少なくとも、僕は、そう信じてる」
「先生……」
不安そうな瞳で見上げる少年の肩を掴んで結城は力強く頷いて見せた。が、龍一は弱々しく視線を逸らす。

(幸せ……)
そんな日が来るなんて、今の龍一には、とても想像がつかなかった。結城は、そんな彼を黙って見つめた。どことなく表情が寂しい……。龍一は、ふと、思い出したように言った。
「あの、仏壇のところにあった写真の女の人……」
「ああ。あれは僕の母だよ」
「亡くなったんですか?」
「ああ。3年前に、事故でね……」
「そうだったんですか。その、白衣着てたから……」
「母は看護師だったんだ」
龍一ははっとして顔を上げた。結城もまた、そんな彼を見つめた。少年の目に、うっすらと涙が滲んでいた。

「先生、ぼく、あの火の中で闇の風を見ました」
龍一が言った。
「闇の風を?」
「はい。闇の風が、炎を呼んで……父と母を呑み込んでしまったんです……! あの闇が、何もかも……」
その頬に、後から後から涙が伝う。
「ぼく、学校に行くのはいやです。だって、あいつが……! あの日、あの男が学校に現れてから、何もかもが変わってしまったんだもの」
「風見……」
龍一は、嗚咽を漏らしながら続けた。
「……火事の事教えてくれたのもあの男でした。けど、何だか怖いんです。ぼく……。まるで、人の不幸を楽しんでるかのように冷たく笑う、あの視線が……。あの男は、先生と知り合いみたいな事言ってましたけど。一体、何者なんですか?」

龍一が怯えるのも無理はなかった。今や、浅倉は闇の風を操る能力者としては相当の実力を持っている。その恵まれた力を使うのは、人々を幸せにするためだと誓ったのに、浅倉は今もその約束を果たしていない。

「大丈夫だ。僕がいる。もう、あいつに好き勝手はさせない」
そう言って、結城は少年の背をやさしく撫でた。
「だから、泣くんじゃないよ。いっしょに学校へ行こう。ここは危険かもしれないんだ」
「危険って?」
「後でちゃんと話すから。ね?」
しかし龍一は、学校に行くのはいやだと言い張った。結城は困り果てたが、結局、今日のところは家に置く事にした。
「ずっと側にいてあげたいけど、今日は、どうしても戻らなきゃならないんだ。だから、いいね? 何かあったら、すぐに連絡するんだよ。それから、誰が来ても決してドアは開けないこと」
そう強く言い残して、彼は一人学校に向かった。


学校に着いたのは、5時間目が始まる寸前だった。慌てて階段を駆け上がり、準備室へ向かう。すると、ドアの前で健悟が待っていた。
「先生。さっき、龍一のクラスの連中に訊いたら、やっぱり来てないって言うんですけど」
と不安そうな顔をする。結城はその肩を叩いて言った。
「ああ。心配しなくてもいいよ。彼、今、僕の家にいるんだ」
「え?」
「僕も心配になって昼休みに家に行ってみたんだ。多分、彼には休養が必要なんだと思う」
「あいつ、随分無理してたからな。早く元気になってくれるといいけど」
そう健悟が言った時、始業のチャイムが鳴った。彼は慌てて行こうとしたが、ふと、振り向いて言った。
「あ、先生。おれ、後で様子を見に行ってもいいですか?」
「そうだね。きっと喜ぶと思うよ」
結城が微笑むと、健悟はうれしそうに笑ってペコリと頭を下げ、階段を駆け下りて行った。


その後、2時間授業を終えて、結城は校長室へ行った。
「これは、どういう意味だね?」
差し出された辞表の封筒と結城とを見比べて、校長は言った。
「すみません。無理なお願いだという事は重々承知しているのですが……」
「まあ、君には君の事情があるのだろうが、その、何とかならないのかね?」
「はあ」
「急に言われても困るのだよ。まだ学期の途中でもあるのだし……。第一、君のように優秀な教師が後任としてすぐに見つかるかどうか……」
「後任は、僕も何とか心当たりを探してみます。それに、僕はそんなに優秀な教師じゃありませんよ」
結城は恐縮して言った。

「いや。君は我が校にとって、なくてはならない貴重な人材だ。何とか考え直してもらえないかね?」
「それは……」
「給料が不満なのか?」
「いえ。別にそういう事じゃ……」
「なら、悩み事でもあるのかね? 場合によっては相談に乗るよ。とにかく、そう結論を急ぐ事はないだろう。まずはじっくり話し合おうじゃないか」
校長は両手を組み直すと身を乗り出して言った。
「はあ……」
結城は本当に困ったと思った。校長を説得するだけの理由を思いつけなかった。まさか学校が危険にさらされているなどと、校長は夢にも思っていないだろう。そういう話は信じない主義だった。それで、仕方なく、結城は校長の前から引き下がる事にした。

そして、校長室を出た所で、養護教諭の辻に会った。
「あら結城先生。お顔の色がよくないですよ。どこか具合でも?」
辻は、はきはきとした中年の女性だった。
「あ、いえ。何でもありません。ちょっといろいろあったもので寝不足に……」
「そうですか? それなら、いいんですけど……」
辻は軽く会釈をして通り過ぎようとした。その後ろ姿を見ながら、結城は考え、迷った挙句に声を掛けた。
「あ、辻先生」
「何か?」
彼女が振り向き、足を止める。
「実は、生徒の事でご相談したい事があるのですが……」


辻は、空いていたカウンセリングルームへ結城を招き入れた。
「それで? 相談ってどんな事ですの?」
ソファーの向かいに座ると、辻が身を乗り出して訊いた。
「実は、1年の風見龍一の事なんですが……」
その名を聞いて、辻は身構えた。
「あの、マスコミに出てた子ですよね?」
「ええ。あの子、実は、昨日から僕の所に来てるんです。それで、学校に来たくないって言ってまして……」
「そうですか。何しろ、あんな事があったばかりですからね。ショックなのも無理ありませんけど……」
辻は少し声のトーンを落として言った。

「私もね、心配はしていたんですよ。何とかうまく立ち直ってくれればいいけどって……」
「ええ。僕も出来る限り応援したいとは思っているんです」
「じゃあ、なるべく彼の話を聞いてあげるといいかもしれませんね」
「そう。でも、時間が掛かるかもしれない」
結城は逡巡していた。
「焦っては駄目ですよ。こういう事は時間を掛けてゆっくりと気持ちを聞いてあげるのが一番なんです。頼られてるって事はそれだけ生徒から信頼されている証拠ですよ。私も協力しますので……」
「はあ」
それは結城にとって複雑な気分だった。確かに龍一が自分に対し、信頼を寄せている事はわかる。だが、浅倉が何を考えているのかわからない以上、能力者である龍一を手元に置くのは危険過ぎる。ここに来てまた、運命の糸が彼の周囲で絡み始めた。それもまた、風の記憶の再現なのか。もし、そうだとしても、今度こそ守る。一人の少年を守るくらいの力は持ち合わせていると信じたい。自分は風の狩人なのだから……。せめて、この騒動が落ち着くまでの間だけでもそうであって欲しいと、彼は念じた。